【ニッポンの名城 三十八天守を訪ねて】
●厳選した日本の天守・計38を訪ねます!
訪ねるお城は全て
「天守があるお城」です。
①江戸時代江戸期以前からの天守がそのまま残る
「現存天守」
②当時の図面や資料を基に忠実に再現した
「木造復元天守」「外観復元天守」
③当時と同じ場所に再建した
「復興天守」
この条件に合う天守を巡ります。
●いろいろな視点から…
単なる「城めぐり」ではなく、お城を旅のメインとして毎回いろいろな視点から旅を進めます。
その城ならではの歴史エピソードの舞台を見たり、活躍した城主に注目したり、時には城下町をじっくり歩いたり…
土地の方々にお話を伺いながら楽しむ歴史旅です。
(一部現地案内人のつかないツアーもあります)
幕府軍と新政府軍がぶつかりあった“戊辰戦争”
中でも東北の緒戦となった舞台へ
◆時は江戸時代末期。
慶応3年の大政奉還に始まり、明治天皇による王政復古の大号令により長きに渡った徳川政権に幕が閉じられました。
その後、薩摩藩・長州藩を主とする新政府軍と15代将軍を擁護する旧幕府軍が激突したのが戊辰戦争の初戦である鳥羽伏見の戦いです。
◆当時、京都守護職を務めていた会津藩主・松平容保は鳥羽伏見の戦いでの大敗後、江戸へ。
新政府軍は会津藩追討をしようとしますが、松平容保は隠居し謝罪状を提出。
それでも新政府軍は米沢藩や仙台藩へ会津藩への追討を命じました。
新政府軍に従う姿勢を見せているのに追討するのはおかしいとして、新政府軍に対抗すべく東北諸藩で結成されたのが「奥羽越列藩同盟」です。
◆奥羽越列藩同盟により、新政府軍と東北諸藩との戦いに過激さが増します。
そして東北における戊辰戦争の始まりとなった戦いの舞台が白河小峰城です。
100日間に及ぶ戦いの中で千人以上の死傷者が出たと言われる激戦でした。
◆白河での戦いに勝利した新政府軍は更に北上して二本松城へ。
ここでは有名な白虎隊よりも年の若い少年たちで結成された二本松少年隊も参戦し犠牲となりました。
◆戊辰戦争の勝敗を決したともいわれる激戦の舞台となった城跡を現地案内人の話を聞きながらじっくり見学します。
■通常の観光旅行に比べて徒歩移動や屋外行動が多い行程です。
内容を良くご覧の上でご予約下さい。
※小人参加不可
コース: | 各地出発(6:30~7:30)
=白河「南湖公園」(案内付き散策)
=白河「白河小峰城」
◆城山公園(案内付き散策)
◆小峰城三重櫓(見学)
◆小峰歴史館(見学)
=白河「新駒本店」(昼食)
=二本松「霞ヶ城公園(二本松城跡)」(案内付き散策)
=各地到着19:00頃
◆添乗員同行 |
お食事: | 昼:白河名物 割子そば |
料金: | 大人料金15,800円
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